ピーター・フランクル [official web site]
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台湾5

(2019.6.25)

 花蓮の駅に到着した時、通路の壁に『海豚(イルカ)鯨船』と書かれた看板があるのに気付いたが、その時は皆急いでいたので、ゆっくり読むことができなかった。しかし最近山より海の方が好きな僕は、俄然興味が湧いた。地元の人に聞いて見ると、やはり花蓮沖に海豚が棲息しているとわかった。
 海の無いハンガリーからやって来た仲間に話すと、異口同音で「観たい、観たい!」と言われた。李さん張さんと相談したら、各位が乗船料を出すなら乗っても良いと言う。結局、翌朝いつもの3台の車で港に向かって、中型の船に乗り込んだ。一階は台湾の観光客が多く、我々は二階に座った。
image 大好きな生のココナッツを啜りながら見つけたのはカジキの店
 天気も良く、港内は凪だった。港の外に出ると多少の波はあったが、運良くうねりはなかった。そして港を出て10分程度で、海豚の群に逢うことができた。他の人は動かなかったが、僕は走って階段を降りて、一階の最先端から海豚達を観ることにした。
 この群の海豚達は意外と小さく、全身1メートル弱であったが、船を恐れず至近距離から観察できた。100頭程度の群で、船長も上手で船中の客は大喜びであった。30分程度が経ってから、「では鯱(シャチ)を探してみましょう」と船長のアナウンスが流れると共に、船は速度を上げて沖へ動き出した。
image 小さい海豚の群れの一部
 二階に戻った僕は、李さんと張さんの顔を見てびっくり!二人とも元気がなく完全に船酔いしていた。ハンガリー人でも船酔いをしていた一人がいたが、ずっと座っていて吐くほど気分が悪くなかった。李さんと張さんはサービス精神が旺盛で、ずっと皆と海豚の写真を撮っていた。それに当たり前だが、二階の方が一階より揺れる・・。結局、お二人は港に戻るまで、時々衛星袋を利用しながらただただ座って堪えていた。
 僕は船長に声を掛けた。中国語ができることを喜ばれ、海豚と鯨について色々教えてくれた。また、その朝撮れた鯱の動画も見せてもらった。20分程度探したが、鯱は姿を現してくれなかった。一方、それから別の種類の海豚の群を見つけた。結局、「良い提案だったな」とハンガリー人達に感謝されて船を降りた。
image 大きめの海豚
 その日の夕方は、花蓮郊外のとても立派なレストランで晩餐会になった。そのレストランの特徴は、魚も鶏も丸ごと焼いてテーブルに置く制度である。それぞれのテーブルで、志願者は用意された手袋を嵌めて、それらを捌くことになった。頭と足が付いて蒸してある鶏を見たのは何十年振りで、面白かった。
 それでも一番印象に残っているのは、花蓮大学の女性数学者が学者ではない夫を連れてきたことである。欧米でも珍しく、日本では考えられない!台湾の総統が蔡英文で女性であることもあってか、男女共同参画社会の実現、男女平等に関して台湾は先進国であると感じて、とても嬉しい気持ちになった。そして翌日は日本に戻って来た。
image 花蓮の夜景



 

台湾4

(2019.6.7)

 雅和さんは写真の通り、とても優しい美人であった。夫のホンビンさんが高雄市出身の健気な田舎者であることに対して、雅和さんは台北育ちの洗練された都会人である。家族で中小企業の経営をしていて、両親はどうしても嫡子が欲しかった。ところが、次から次へと女の子が生まれた。挑戦し続けた結果、生まれた雅和さんは6人姉妹の末っ子であった。『細雪』の4人姉妹を遥かに越えたことである。しかし、雅和さんの両親はそれでも懲りなかった!そして7人目にやっと男の子が生まれた。
image 賑わう龍山寺
 それと対照的に、ホンビンさんと雅和さんの最大の問題は、なかなか子供ができないことである。ホンビンさんに台北を案内してもらった時も、真っ先に連れて行ってくれたのは有名な龍山寺で、彼はそこでお金を払って子供に恵まれるように祈願した。不妊治療と人工受精に、既に300万円以上を使ったらしい。二人とも38歳でそろそろ限界だが、僕も心から彼らの念願が叶うように祈っている!
 翌日の講演にも雅和さんは現れた。中学生の姪二人を連れて来た。台湾大学で若者向けに数学の楽しさと大切さを説く中国語での講演だったので、彼女たちにも多少は為になったと期待したい。講演後には、皆でホンビンさんお薦めの羊料理をご馳走になった。不思議な味の梅ドリンクと共に、とてもおいしかった。
image 一緒に行った仲間たち
 翌日の日曜日からは2日間、台湾大学で台湾ハンガリー組み合わせ理論国際会議が開催された。そして火曜日からは三日間のオマケ、景勝地の花蓮での分会が始まった。台湾の経済の中心は西海岸にあり、新幹線で結ばれている都会、台北、台中、高雄などが位置している。一方、東海岸は山が海まで迫っている感じで、農地も人も比較的少ない。最大の都市は花蓮、人口は十万人と少ないけれど、立派な大学がある。予算の関係で李さん、陣さんら4人は花蓮大学の教授・張さんの家に、ハンガリーからの7人はそこから徒歩2分のAirbnbに泊まった。張さんの家は溜まり場になっていた。夕食後は僕もそこの広い居間で座って、お茶を啜りながら台湾人の皆さんと歓談していた。
image 渓谷らしい美しい眺め
 花蓮に着いた翌朝は、8時に車3台の体制で太魯閣(タロコ)渓谷へ出発した。張さんの車2台に、奥さんの母の車1台である。国立公園の入口で入場料を払って、10キロ程度進んでから車を降りた。そして1時間程、遊歩道を散策しながら絶景を楽しんだ。すれ違った観光客でヘルメットを被った人もいたが、僕たちは「落石注意」の看板を見ても全く気にしなかった。ところが日本に帰って来て二週間後に、花蓮を震源とする強い地震があった。太魯閣(タロコ)渓谷での落石によって二人の観光客は死亡、複数は負傷した!それを読んでかなりゾッとした〜(続く)
image ちょっと芸術的な写真



 

台湾3

(2019.6.3)

 日本語には公私混同という言葉がある。マイナスイメージが強く、業務上の事柄と私的な事情とを区別せずに扱うことであるが、仕事の同僚と自分の家族を混ぜるべきではないという意味合いもあるようだ。世界110ヶ国を旅してきて、男女がほぼ別れて暮らしているアラブ諸国を除くと、この考え方は日本で一番根強いように感じている。
 今回の台湾旅行とも関連がある一例を挙げよう。初来日からもう36年が経っていて、日本で知っている数学者は200人程度である。しかしその中で、配偶者と面識があるのは一桁に留まっている。一方、夏になると毎年方々で国際会議が開かれている。先進国の学者はよく配偶者、また時には子供も連れて参加する。昼間、家族は観光を楽しんでいるけれど、夜の立食パーティーには同席することが多い。朝食の会場で、お互いに家族を紹介することも普通である。これによって、日頃直接かネットを通じて仕事を続けている学者同士との関係も深まり、子供にとっても良い刺激になる。
 この話をすると、僕が初めて日本人と対面した時のことを想い出してしまう。ハンガリーの皮膚科学会に、父の推薦で岐阜大学の伊藤賀祐先生が招待された。会議はブダペストで行われ、地方暮らしの父も伊藤先生と同じホテルに泊まった。そして当時大学生だった僕も、ホテルで朝食を共にすることになった。英語の壁もあって、伊藤先生と交わした言葉数は少なかった。しかし、清潔で紳士的な日本人に対する強いイメージの始まりとなった。
 閑話休題。日本統治時代、いろいろな面で大発展した台湾、日本人の暮らしと文化の影響は目立っている。しかし、公私混同に関しては一線を引いているように見えた。台中から台北に戻って、陣さんという38歳の数学者に街を案内してもらった。戦前から残っている古い商店街や、中心部の空き地にできたプレハブの店がデザイン性の高い商品を売っている〔メッセ〕など。夕方になってどのレストランに行くのかという話になった途端、「妻を招待しても良い?」と聞かれた。街を案内されながら、陣さんの今までの人生ややっている研究などについて紹介してもらい、関心が湧いてきて、できれば彼の奥さんや家族とも会ってみたいと思うのは、当然ではないだろうか!
image 行列はもっと続いている
 その夜食べたレストランは日本でも割と有名で、新宿の高島屋にも支店がある鼎泰豊は台北でも人気が高く、事前予約がなかった私たちは、席を案内されるまで店前の路上で40分以上待っていた。しかし、これは決して無駄な時間ではなかった。途中で、予約がある日本人の団体が二つも到着した。そして僕を発見して、何枚か一緒に記念写真を撮った。それに気が付いた日本人係の店員も声を掛けてくれた。ちょっと話をしてみたら、彼女も蝦釣りが大好きであることが判明し、話も大いに盛り上がった。そして陣さんの奥さん雅和さんも到着して、我々は三階の席へ案内された。 続く。
image 会話の内容はまた次回に



 

台湾2

(2019.5.28)

 台湾は日本と同じように四方海に囲まれている島国なので、釣りもできるだろうと以前から期待していた。海辺に行くと、確かに釣りをやっている人々がいる。しかし近づいて釣果を確かめると、小魚や針千本程度である。
 一方、日本には無いとても面白い〔釣蝦場(海老釣り堀)〕がある。工場か倉庫のような素朴で広い建物の中に、二つほどの10メートル四方のプールがある。水深1.5メートルでかなり浅いけれど、水が濁っていて底は見えない。プールの中には手長蝦が数十匹いる(台湾ではタイ国蝦と呼ばれ、輸入品であるらしい)。この蝦を狙っている釣り人達は、プールの周りに2メートル間隔で座っている。竿も仕掛けもかなり簡単で、小さな針に1センチ位の小さな蝦かチキンの生レバーを細く切って付ける。浮きがあって、それを調整して餌がギリギリプールの底にあるようにして当たりを待つ。イメージとして、蝦は餌を長い手で捕まえて少し自分の方へ引っ張る。魚の餌釣りなら、魚は手が無いので口で餌を吸い込んですぐ食べてしまう。だから浮きも大きく動くので、それを見たらすぐに合わせる(竿を鋭く上へ動かす)べき。
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 しかし、蝦釣りでは早合わせが禁物だ!蝦の手が硬く、針掛かりしない。浮きがほんの僅かでも動いてから、やり取りが始まる。竿をちょっとだけ動かして、蝦を刺激する。蝦は逃げようと思うのか、餌を針と共に自分の方へ引っ張る。このやり取りを繰り返しながら、蝦が餌を口に運ぶのを待つ。その時に巧く合わせると、割と高い確率で針は柔らかい口に掛かってしまう。コツを掴むと3、4匹を連続して釣り上げることもある。その前は蝦に何回も逃げられ、もうダメだと感じたこともある。やはり修行は大切だ!
 僕は外国から台湾にやって来て蝦釣りの経験が少ないハンディを覆そうと、マスター級の人に声を掛け、弟子入りした。餌の付け方や誘いの仕方まで教えてもらった。結局2時間頑張って、つ抜け(8つ、9つを越えて10匹以上釣り上げること)ができた。因みにマスターは同じ時間で倍以上釣った! 一方、1時間で1、2匹しか釣れない人もかなりいた。
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 因みに、台湾でも釣りに全く関心がない人が多い。僕を招待してくれた李さんもその一人。だから僕が釣りをしている間、彼は一旦家に戻った。そして2時間後に奥さん同伴で現れた。と言うのも、〔釣蝦場〕の大きな魅力の一つが、釣った蝦をそこで料理できることである。しかもチャーハンや中華風焼き麺など庶民的な料理を注文して、テーブルに座って楽しく頂くことも可能である。普段は全く料理しないけれど、釣りのマスターを真似しながら蝦の串焼きを作るのも楽しかった。
 マスターは自分の奥さんと友達と、僕は李夫妻と別々のテーブルで食べたが、帰宅の際もう一度マスターの手を握りながら感謝した。
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台湾1

(2019.5.15)

 平成最後の海外旅行、それは台湾だった。ピンと来ない人もいるだろうが、世界で日本と日本人の評判が最も高い地域は、間違いなく台湾である。今回の台湾旅行が決まった話からも伝わると思う。
 1月の半ば、僕と専門が同じ台湾の数学者、李さんからメールが届いた。「新婚旅行で日本に行くので時間があったら会いましょう」と。李さんはアメリカの大学に留学して、そこで客員教授をしていたハンガリーの数学者の指導下で研究を始めた。めでたく博士号を取得してから、台湾の主要都市の一つ台中の大学に就職した。会ったことはなかったけれど、お互い研究する分野も近く喜んで同意した。このように連絡され、海外からやって来る学者に東京を案内するのは決して珍しくない。しかし新婚旅行で日本に来た例はなかった。
 話を聞くと、彼も新婦も三十代半ばで、どちらも7,8回は日本を訪れたことがあるそうだ。北海道から九州までかなり詳しい。半日を一緒に過ごしたが、とても雰囲気が良いカップルで、いろんなことについて話し合った。李さんが以前興味を持ったが解けなかった問題も教えてくれた(台湾とは関係ないけれど、それから2日間ほど考えてきちんと解決して彼を喜ばすことができた)。それから「4月の始めに台北で組み合わせ論の学会があるので、是非基調講演をお願いしたい」と招待してくれた。
 李さんたちが台湾に戻ってからも頻繁に連絡があり、結局3回講演をすることになった。@彼が勤めている台中の大学で、数学を専攻する学部生と大学院生合わせて100名を対象に組み合わせ論の基礎について、A台湾大学で200人の一般人を対象に数学の面白さについて(中国語で)、B学会で20人の専門家を対象に自分の最新の研究について(英語で)。
 台中では李さんの家に泊まっていた。中古で買ったマンションで3LDK、リビングが広くて、しかも職場の大学から徒歩10分ととても便利だった。そこで毎朝台湾風の朝ご飯を食べられると期待していたが、彼らは料理をする習慣がない!朝は奥さんが運転する車で大学まで行って、日本にもあるチェーン店SUBWAYのようなところでサンドイッチやハンバーガーを食べた。李さんと僕は大学に残り、音楽の先生である奥さんは勤務先へ向かった。
image 一般人向けの講演風景
 大学のキャンパスは広くて、緑が非常に多かった。この〔大学の森〕の中で、野鳥もかなり棲息しているらしい。僕の気に入ったのは〔夜鷺〕(中国名)である。あちらこちらで木陰に立っていて、全く動かない。かなり近づいても動じない。流石に2メートル以内の距離になると、ちょっとトボトボ下がる。しかし飛び立たない。虫を食べたいのなら長い嘴で草の中を探れば良いのにと思った僕は、落ちている小枝で近くの土を少しばかり掘り起こした。すぐ蚯蚓(ミミズ)を見つけた。手で捕まえて夜鷺にあげたらきちんと食べてくれたが、やはり自ら探しに行かない。しかしその立っている〔棚ぼた〕姿はとても可愛い!
 初日は大学に午後から到着して翌日の打ち合わせをしたり、何人かの先生と小話をしたりしただけ。夕方になってから、何人かの偉い教授と共に中華料理を食べに行った。それは台湾の国立大学で偉くなる為の必要条件なのか、全員が数年間アメリカでの留学経験があった。学部長の場合は奥さんが現在もテキサス州に住んでいて、高校生の子供の面倒を見ている。仕事関係で(中国)大陸にもほぼ毎年行っているらしい。しかし全員、中国を怖がっていた!日本に住んでいて僕も平和ボケかもしれないが、朝鮮半島か中国と台湾間で近未来に戦争が起こるとは思わない。しかし台湾人の多くは、中国が攻めてくることを恐れている。 それも日本に好意的である理由の一つであろう。(続く)
image 夜鷺



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