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ウズベキスタン1

(2018.12.12)

 アルマティからウズベキスタンの首都タシュケントまで、夜行列車で行った。16時間掛かる長旅だったけれども、これで中央アジアでの電車の旅も経験できた。直線距離は660キロしかないのに16時間!というのも、電車は100キロを超える速度で走れるが、停車駅が多くしかも停車時間が長い。特に国境を通過する為に、カザフ側でもウズベク側でもかなり待たされた。
image アルマティの駅の出発ホーム。緑いっぱいでのどかな雰囲気。
 一方、食堂車は素晴らしかった。昔は日本の新幹線でもあったけれど、いつの間にか消えてしまった。きちんとしたテーブルが15台ほど左右に並んでいて、一台には向かい合って4人が座れる状況だった。厨房もあって、料理を乗務員がてきぱきと運んでくれた。面白いことに、閉店の0時から開店の6時まで、乗務員はテーブルの座席でうずくまって仮眠していた。
image 電車には時速200kmと書いてあったが100km以上は出なかった…
 タシュケントは中央アジア最大の都市で、人口は300万とも言われている。〔タシュケント〕の意味は、石の家らしい。ところが50年前の大地震の前、住民は一階建ての小屋ばかりに生活していたそうだ。怪我の功名と言うか、地震で街は壊滅的な被害を受けたのに、死者数は数百に留まった。その後はニュータウンや広い道路、地下鉄や公園などが計画的に造られた。古い遺跡はないが、とても雰囲気が良い都会になっている。
 日本で読んだ本によると、ウズベキスタンはイスラム原理主義の人が多く、要注意な場所だそうである。アフガニスタン国境に近い部分はそうかもしれない。しかしタシュケントは全く違った。女性の服装も振る舞いも開放的だった。
image 旧ニコライ・ロマノフ邸。ロシアから追放され幽閉されていた建物だが美しく立派
 インターネットで予約したロッテホテルには、空港までの送迎という特権がついていた。だから翌朝7時にホテルの車に乗って空港に向かった。運転手とアンドレイと僕の三人だけで、15分で到着した。空港に入る為にパスポート提出や荷物検査があったが、7時30分に出発ロビーに着いた。しかし電光掲示板には、ウズベキスタン航空ウルゲンチ行き8時30分の便が見当たらない。ウズベキスタン航空のカウンターに行って聞いてみると、「国内便なので別の空港です」と!
 大慌てで重い荷物を持って階段を走り下りて、タクシーを探した。運良く国内空港は割と近くて、道も混んでいなかった。アンドレイと車内で、空港が二つもあるのにホテルの人や運転手は「どちらの空港ですか?」と、なぜ聞かなかったのかと話した。
 ギリギリだったが何とか間に合った。ウズベキスタン航空の飛行機は意外と新しく、朝食として出されたサンドイッチも美味しかった。 2時間後にはホテルのチェックインも済んで、ウズベキスタン観光都市No.3、ヒヴァの旧市外を歩いていた〜。
image タシュケントの古い市場
image 現代的な姿の若者たち



 

カザフスタン3

(2018.12.07)

 キルギスタンからアルマティに戻る車の中で、翌日はどうしようと話し合った。外国で僕は大学のキャンパスをブラブラして、先生や学生と話をするのが大好きだ。けれども8月30日で、未だ夏休みが続いていた。だからアンドレイが提案した通り、ロープウェーで街の南にある山に登ることにした。
 リュックにダウンジャケットとセーターを入れ、夏のアルマティの道で車を拾った。ロシア製の古い車で、運転手も還暦を過ぎていた。15分程でロープウェー乗り場に到着して、二回の乗り換えで海抜3600メートルまでのチケットを購入した。出発する地点は既に海抜1500メートルを超えていたので、かなり寒かった。ロープウェーの中でセーターもダウンジャケットも着たが、三番目のロープウェーに乗る時は寒いなと感じた。
image ロープウェーからの景色
 海抜3600メートルに到着したら、気温は零で雪がちらちら舞っていた。体を温める為に(?)早足で登山を始めた。 キルギスタンの山で過ごしてきたお蔭か高山病らしい症状もなく、山道を歩いたり写真を撮ったりしていた。そして元気の良い二人のおばあちゃんに「どこから来たの?」と声を掛けられた。その二人は昔からアルマティに住んでいるロシア人で、娘と小学生の孫を連れて雪山でピクニックをしようとしていた。
 アンドレイがモスクワ人であると判ったら、更に親切になった。そして僕達にも一緒に食べるように勧めた。大きな岩の上にパンやハム、茹で卵、手焼きのケーキに果物などを広げ始めた。ロシア人は寒さに強いと知っているが、冷たい岩の上に座ってあんな寒さも平気の平左で騒いでいる姿を見て驚いた。「君は寒いなら早くコニャックを飲みなさい」と、コップを渡された。めったに酒を飲まない僕も、寒さ対策として一杯を飲み干した!
image ピクニックの様子
 一人のおばあちゃんは「エーデルワイスを探してみる?」と誘ってくれた。エーデルワイスは日本人の皆さんもご存知だと思う。僕も子供の頃から絵本や写真で見たことはあったが、実物と出逢ったことはなかった。三年前にスイスのアルプスで結構探したが、五月で時期が早くて見つけられなかった。しかしおばあちゃんのお蔭で、アルマティの山で何輪かを見つけて凄く嬉しかった。名前の通りで白くちょっと地味だが、僕にはとても可愛く映っていた。花を探して歩き回ったお蔭で、寒さも忘れておばあちゃんの話を夢中で聴いていた。「この泉は歩いて3時間の所の氷河の辺りから流れて来る雪解け水で、飲んでも大丈夫よ〜」。彼女は2リットルのペットボトルを一杯にして、皆の所へ運んでいた。
image 可憐なエーデルワイス
image 雪解け水
 もうちょっと暖かい場所なら優しいおばあちゃんたちの人生の話をゆっくり聴きたかったが、茹で卵とパンを少しいただいて失礼した。最初のロープウェーを降りた所の喫茶店に入って、数学の話をしながらアンドレイとホットチョコレートを飲んだ。そして残りの二つのロープウェーで降りて、海抜1500メートルの場所まで戻った。ようやくダウンジャケットを脱げた。
 国道に出てタクシーを拾うと思ったが通る車は少なく、手を上げても止まってくれなかった。丁度市内バスが来たので乗ってみた。かなり混んでいて終点まで座れなかった。それでも乗って良かった。ある人生初の経験をしたからだ!
 後ろから肩を軽く叩かれ、振り向くと男の人に「この子をあそこに座っている女性に渡して」と言われ、生後8ヶ月位の赤ちゃんを手渡された。びっくりしたけれど、断る理由もなかった。急な山道を下り続けているバス、吊り輪を離して足元はおぼつかなかった。赤ちゃんを落としたら絶対ダメだとその子のお兄ちゃんと座っていた女性に届けて、ミッションを果たした。
 他国で見たこともなかった、見知らぬ人に自分の大事な子宝を託すこと。カザフの知り合い、ムフタルに依るとアルマティなら珍しくない。『国変われば・・』と言おうか。とにかく外国に行けば、日本と違う色んな経験ができる。だからいつまで経っても、いくつになっても海外旅行を続けたい!!



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