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タジキスタン1

(2019.1.10)

 日本を出発する1ヶ月前に、恐ろしいニュースを読んだ。自転車でタジキスタンを巡っていた4人の外国人が地元の人に攻撃され、全員ナイフで刺し殺された!タジキスタンの治安はここまで悪いのならどうしよう?アルマティ在住の信子さんにお願いして、タジキスタンのJICAオフィスで働いている阿部さんを紹介してもらった。
 首都のDushanbe(タジク語で土曜日の意味)は治安が良いことが判ったが、移動中の安全を考えてJICAもよく利用しているベンツを運転手付きで借りることにした。キルギスタンで借りたトヨタのワゴン車の倍以上かかったが、〔命あっての物種〕とお金を惜しまなかった。その分運転手のファルフードは、窓ガラスが黒いベンツでサマルカンドのホテルまで迎えに来て、最後の日はタシュケントの空港まで送ってくれることになっていた。
image ベンツの助手席から見た風景
 ところが、朝ご飯をいただいてからホテルの前の駐車スペースを見に行ったら、アフガニスタンナンバーのレクサスはちょうど出発する時だったが他の車はなかった。アンドレイと荷物を持ってチェックアウトを済ませていると、30歳位のほっそりした若者に日本語で「ピーターさん?」と声を掛けられた。その彼ファルフードが説明したのは、外から中が見えない車が特別許可無しでウズベキスタンには入れない。だから車を国境のタジキスタン側に置いて、タクシーで来た。これから彼はタクシーを探し、それに乗って国境まで行こうと。
 明らかにおかしい話である。彼が国境を渡るのは珍しくない。窓ガラスが黒い車に関するルールも知っている筈。許可が必要であればそれを取るべきだった!日本に来る前の僕なら恐らくそこで彼と大喧嘩をして、自分で交通手段を探してタジキスタンに行っただろう。日本人の皆さんと長年接してきたお陰でその場の気持ち何とか抑えて、彼を紹介してくれたJICAに迷惑を掛けず、またタジキスタンで仲良く過ごせることを優先した。ウズベキスタンの小さなタクシーには大きな荷物と我々が入るのもやっとと経験から知っていたアンドレイも、かなり不満顔だった。
image イスカンデル湖
(名前の由来は中央アジアまで勢力を伸ばしたアレクサンダー大王による)
 国境までの道程が1時間足らずであることは唯一の救いであった。出発の前、サマルカンド近くの国境を通過できるかどうかも心配だった。タジキスタンが進めているメガダムの建設による川下のウズベキスタンへの影響を巡って両国は激しく対立をして、この国境も閉鎖されていた。幸運にも、ウズベキスタン大統領のタジキスタン訪問によって関係は改善した。結局、国境を難なく越えて、ファルフードのベンツに乗った。
 一人当たりのGDPで判断すると、タジキスタンは最貧国の一つである。狭い国土の大半は高い山に覆われている。しかも降水量が少ないせいで、食物の栽培も厳しい。それでも極度の貧困が目に付かない理由は、成人男性の一割以上がロシアやカザフスタンなどへ出稼ぎに行っていることらしい。
image 荒涼とした山
 ファルフードのお父さんもその一人で、十年以上シベリアの大都市エカテリンブルク(ロシア第四の都市、人口145万人)に働いていた。そして毎月の送金で、タジキスタンの田舎に残された家族は生活を営んでいた。ところが4年前に突然、お父さんの訃報が届いた。お母さんは急いでエカテリンブルクに出向いたが、事件に巻き込まれたのか殺されたのか判明しなかったらしい。とても悲しいことなので、僕もファルフードにあまりしつこく聞かなかった。お母さんは懸命に遺産を販売・整理して、そのお金でファルフードが使っている中古のベンツを購入した。かなり切ない話だが、死んでからもお父さんは家族の生活を支えている。続く。
image 滝を覗き込むアンドレイ



 

ウズベキスタン2

(2018.12.19)

 言ってみればウズベキスタンではアンドレイと普通の観光、つまり名所巡りをした。ヒヴァ、ブハラ、サマルカンド。ユネスコ文化遺産などとても立派な古い遺跡がたくさんある。それらを紹介しても仕方ない。興味がある方は是非ネットか本でご覧下さい!こちらはいくつかのちょっとした出来事の話だけをしたい。
image 観光客の面倒を見る観光警察の女性警官
 ヒヴァでアンドレイは食中毒になった。大体僕と同じ料理を食べていたので、おそらくホテルの朝ご飯の肉が原因だった。あまり新鮮に見えなかったので、僕はそれを避けた。正確な原因はともかく、ブハラに向かうタクシーの中、普段喋りっぱなしの彼はほとんど無口だった。ブハラのホテルに着いたら下痢に嘔吐、どんどん弱っていた。一旦は一緒に街の見学に出発したが、やはり気分が悪いとホテルに戻った。
 去年は僕もアゼルバイジャンで食中毒になった経験があって、「水などをたくさん飲んでよく休むのが一番!」と、彼にアドバイスをして出かけた。主な観光地を早足で2時間余りを掛けて巡り、アンドレイの病状が気になったので早めにホテルに戻った。快復の兆しがなかったので、フロントに行って医者を呼んだ。20分後に到着したのは40代の女医と看護婦である。アンドレイを丁寧に診断して、注射を打って薬の処方箋も書いてくれた。それなりの費用を覚悟しながら「幾らですか?」と、薬局の場所の説明を聞いてから尋ねた。「お金は要らない」と二人は部屋を出た。他の発展途上国での経験と大違い!凄く感動した。そう言えば今回の旅行で訪れた四ヶ国では、一度も金銭的なトラブルが起こらなかった。他の国では、例えば料金で合意したつもりでそれを上回る紙幣を渡すとおつりがないと言われたことも多々あり、とにかくよりたくさんのお金をもらおうとすることは一般的である。しかし今回の旅では、一度もそんなことがなかった。ウズベキスタンなどは、まだまだ平均収入がとても低いのに。
image 警察の身分証まで撮らせてくれた
 ブハラとサマルカンドを訪れた計3日間は、ウズベキスタンの独立記念日と土日の関係で連休に当たった。この連休を利用して、大勢のウズベク人観光客がいた。田舎からツアーバスで来て歴史的建造物を巡っていた。男女共にウズベク伝統的な服装を身に付けた人が多くて、我々はその写真を撮りたかった。怒られたら怖いと彼らが気付かないように頑張っていた。ところが向こうが気付いてしまった。何と言われるのかと心配だったが、想像もしなかった反応だった。
 グループのリーダーと思われる最年長の男性が言ったのは、「君たちも来て、一緒に写真を撮ろう!」。つまりウズベクの田舎に暮らしている彼らは外国人に会うことが滅多になく、異質の僕らに会ったことを喜んだ。結局、様々な名所でいろんなウズベク人と写真を撮らされた。アンドレイは僕に冗談で、「撮影代を要求しようか」と呟いた程である。
image 田舎からの旅行客
 カザフスタンもキルギスタンも日本車が多かったが、ウズベキスタンにはほとんど皆無だった。それには訳がある。20年も前に、韓国のメーカー大宇(テウ)はウズベキスタンで車の工場を設置した。そこで働く人々や(多分)政治家の利益を考えて、政府は輸入車に対する税金を思い切って上げてしまった。大宇は20年近く前に経営破綻のためアメリカのGMに買収されたが、ウズベキスタンでは今でも前とあまり変わらない車種をどんどん製造し続けている。だからウズベキスタンの道を走っているほとんどの車は、現地生産のシボレーである。
image 今ではあまり見ない大宇の車
 僕達もシボレーのタクシーに乗って、ブハラからサマルカンドのホテルまで移動した。ホテルの前には大きな車が停まっていた。ナンバープレートを見るとびっくり!人生で初めて見たアフガニスタンナンバーだった。
image アフガニスタンナンバーの車
image トルクメニスタンとの国境にある立札



 

ウズベキスタン1

(2018.12.12)

 アルマティからウズベキスタンの首都タシュケントまで、夜行列車で行った。16時間掛かる長旅だったけれども、これで中央アジアでの電車の旅も経験できた。直線距離は660キロしかないのに16時間!というのも、電車は100キロを超える速度で走れるが、停車駅が多くしかも停車時間が長い。特に国境を通過する為に、カザフ側でもウズベク側でもかなり待たされた。
image アルマティの駅の出発ホーム。緑いっぱいでのどかな雰囲気。
 一方、食堂車は素晴らしかった。昔は日本の新幹線でもあったけれど、いつの間にか消えてしまった。きちんとしたテーブルが15台ほど左右に並んでいて、一台には向かい合って4人が座れる状況だった。厨房もあって、料理を乗務員がてきぱきと運んでくれた。面白いことに、閉店の0時から開店の6時まで、乗務員はテーブルの座席でうずくまって仮眠していた。
image 電車には時速200kmと書いてあったが100km以上は出なかった…
 タシュケントは中央アジア最大の都市で、人口は300万とも言われている。〔タシュケント〕の意味は、石の家らしい。ところが50年前の大地震の前、住民は一階建ての小屋ばかりに生活していたそうだ。怪我の功名と言うか、地震で街は壊滅的な被害を受けたのに、死者数は数百に留まった。その後はニュータウンや広い道路、地下鉄や公園などが計画的に造られた。古い遺跡はないが、とても雰囲気が良い都会になっている。
 日本で読んだ本によると、ウズベキスタンはイスラム原理主義の人が多く、要注意な場所だそうである。アフガニスタン国境に近い部分はそうかもしれない。しかしタシュケントは全く違った。女性の服装も振る舞いも開放的だった。
image 旧ニコライ・ロマノフ邸。ロシアから追放され幽閉されていた建物だが美しく立派
 インターネットで予約したロッテホテルには、空港までの送迎という特権がついていた。だから翌朝7時にホテルの車に乗って空港に向かった。運転手とアンドレイと僕の三人だけで、15分で到着した。空港に入る為にパスポート提出や荷物検査があったが、7時30分に出発ロビーに着いた。しかし電光掲示板には、ウズベキスタン航空ウルゲンチ行き8時30分の便が見当たらない。ウズベキスタン航空のカウンターに行って聞いてみると、「国内便なので別の空港です」と!
 大慌てで重い荷物を持って階段を走り下りて、タクシーを探した。運良く国内空港は割と近くて、道も混んでいなかった。アンドレイと車内で、空港が二つもあるのにホテルの人や運転手は「どちらの空港ですか?」と、なぜ聞かなかったのかと話した。
 ギリギリだったが何とか間に合った。ウズベキスタン航空の飛行機は意外と新しく、朝食として出されたサンドイッチも美味しかった。 2時間後にはホテルのチェックインも済んで、ウズベキスタン観光都市No.3、ヒヴァの旧市外を歩いていた〜。
image タシュケントの古い市場
image 現代的な姿の若者たち



 

カザフスタン3

(2018.12.07)

 キルギスタンからアルマティに戻る車の中で、翌日はどうしようと話し合った。外国で僕は大学のキャンパスをブラブラして、先生や学生と話をするのが大好きだ。けれども8月30日で、未だ夏休みが続いていた。だからアンドレイが提案した通り、ロープウェーで街の南にある山に登ることにした。
 リュックにダウンジャケットとセーターを入れ、夏のアルマティの道で車を拾った。ロシア製の古い車で、運転手も還暦を過ぎていた。15分程でロープウェー乗り場に到着して、二回の乗り換えで海抜3600メートルまでのチケットを購入した。出発する地点は既に海抜1500メートルを超えていたので、かなり寒かった。ロープウェーの中でセーターもダウンジャケットも着たが、三番目のロープウェーに乗る時は寒いなと感じた。
image ロープウェーからの景色
 海抜3600メートルに到着したら、気温は零で雪がちらちら舞っていた。体を温める為に(?)早足で登山を始めた。 キルギスタンの山で過ごしてきたお蔭か高山病らしい症状もなく、山道を歩いたり写真を撮ったりしていた。そして元気の良い二人のおばあちゃんに「どこから来たの?」と声を掛けられた。その二人は昔からアルマティに住んでいるロシア人で、娘と小学生の孫を連れて雪山でピクニックをしようとしていた。
 アンドレイがモスクワ人であると判ったら、更に親切になった。そして僕達にも一緒に食べるように勧めた。大きな岩の上にパンやハム、茹で卵、手焼きのケーキに果物などを広げ始めた。ロシア人は寒さに強いと知っているが、冷たい岩の上に座ってあんな寒さも平気の平左で騒いでいる姿を見て驚いた。「君は寒いなら早くコニャックを飲みなさい」と、コップを渡された。めったに酒を飲まない僕も、寒さ対策として一杯を飲み干した!
image ピクニックの様子
 一人のおばあちゃんは「エーデルワイスを探してみる?」と誘ってくれた。エーデルワイスは日本人の皆さんもご存知だと思う。僕も子供の頃から絵本や写真で見たことはあったが、実物と出逢ったことはなかった。三年前にスイスのアルプスで結構探したが、五月で時期が早くて見つけられなかった。しかしおばあちゃんのお蔭で、アルマティの山で何輪かを見つけて凄く嬉しかった。名前の通りで白くちょっと地味だが、僕にはとても可愛く映っていた。花を探して歩き回ったお蔭で、寒さも忘れておばあちゃんの話を夢中で聴いていた。「この泉は歩いて3時間の所の氷河の辺りから流れて来る雪解け水で、飲んでも大丈夫よ〜」。彼女は2リットルのペットボトルを一杯にして、皆の所へ運んでいた。
image 可憐なエーデルワイス
image 雪解け水
 もうちょっと暖かい場所なら優しいおばあちゃんたちの人生の話をゆっくり聴きたかったが、茹で卵とパンを少しいただいて失礼した。最初のロープウェーを降りた所の喫茶店に入って、数学の話をしながらアンドレイとホットチョコレートを飲んだ。そして残りの二つのロープウェーで降りて、海抜1500メートルの場所まで戻った。ようやくダウンジャケットを脱げた。
 国道に出てタクシーを拾うと思ったが通る車は少なく、手を上げても止まってくれなかった。丁度市内バスが来たので乗ってみた。かなり混んでいて終点まで座れなかった。それでも乗って良かった。ある人生初の経験をしたからだ!
 後ろから肩を軽く叩かれ、振り向くと男の人に「この子をあそこに座っている女性に渡して」と言われ、生後8ヶ月位の赤ちゃんを手渡された。びっくりしたけれど、断る理由もなかった。急な山道を下り続けているバス、吊り輪を離して足元はおぼつかなかった。赤ちゃんを落としたら絶対ダメだとその子のお兄ちゃんと座っていた女性に届けて、ミッションを果たした。
 他国で見たこともなかった、見知らぬ人に自分の大事な子宝を託すこと。カザフの知り合い、ムフタルに依るとアルマティなら珍しくない。『国変われば・・』と言おうか。とにかく外国に行けば、日本と違う色んな経験ができる。だからいつまで経っても、いくつになっても海外旅行を続けたい!!



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