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初めての体験 |
| (2010.5.17) |
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この間面白い依頼が入ってきました。
なんと、NHKの人気大河ドラマ、『龍馬伝』へ出演してほしいと!
それを聞いた時には、「俳優でも日本人でもない僕が!?」と驚きました。
よくよく話を聞いてみると、僕の役は龍馬が活躍する江戸時代にフランス公使をやっていたロッシュさんという人の役でした。もちろん喜んでOKしました。
彼のことを調べてみたのですが、日本人を高く評価している人であり、僕と共通しているところもいくつかありました。例えば、彼は自分の生まれた国(フランス)を20歳の時に出て、父親が仕事をしていたモロッコへ渡り、そこで外国語を勉強したそうです。そしてその語学力が買われて、のちにモロッコやアルジェリアでのフランス公使を務め、ついに日本にも来たのです。
僕にとって『龍馬伝』出演は人生初の大河ドラマ出演となりました。
事前に衣装合わせやリハーサルなどあり、僕にとってはとっても面白い体験がたくさんありました。NHKのスタジオに当時の江戸時代の光景が立派に再現され、付け髭などをつけて僕自身でも自分の顔かどうかわからないくらい変身し、イギリス人やアメリカ人公使と一緒に話合いをしたり、幕府の使者と話をしたり…
とっても良い想い出となる数日間を過ごしました。
その結果としてできた大河ドラマのシーンを是非多くの人に観ていただきたいと思います。ピーターのことも「あのフランス人がピーターだ!」とわかってもらえると嬉しいです。
ちなみに日本に来て公式な仕事の場でフランス語を使ったのはこれが始めてです。
以前NHKの討論会において英語でお話ししたことがあります。もちろんいつもは日本語でお話していますし、母国ハンガリーを訪れ、TV番組でハンガリー語を使ったり、東欧5ヶ国がEUに加盟した際にはチェコ語でTVに出演したこともあります。しかし、国籍になっているフランス語を使ったのは今回が初めてなのです。
観て下さった方は是非ご感想をお寄せください!
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エチオピアの学生は皆上を向いている |
| (2010.3.15) |
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エチオピアはアフリカの中では珍しく、とても永い歴史があります。キリスト教信者が多く、2000年近くも前にキリスト教が伝来したと伝えられています。世界遺産に認定されている遺跡もあちらこちらにあります。しかし、僕の旅行では遺跡を巡って昔の人のことを知るよりも、今生きている人、若者を訪れることが主となっています。
今回も首都アジスアベバにあるJICA(日本国際協力機構)のオフィスを訪れ、そこで紹介されたエチオピア北部の学校で教員として活躍している10人ほどの日本人を訪ねました。そして彼らの働くいくつかの学校で授業を見たり、自分も授業をしたり、校庭で1000人近い全校生徒の前で大道芸を披露したりしました。
青ナイル川の源流であるエチオピア最大の湖、タナ湖がある大きな都市に行き、そこにある大学も訪問しました。緑が多くとても綺麗な学校でした。そしてキャンパスには溢れるほどの学生がいました。そこに通う学生たちとも話をしましたが、皆未来への希望も大きく、勉学に勤しんでいる姿に大変感銘をうけました。
構内で大道芸も披露したところ、その報酬として学食が出るレストランへ招待されました。大体の学生たちは貧しく、構内にある寮に泊まっています。寮に泊まっている学生たちは学校のレストランで学生証を見せて中に入り、食券などは買うことなく食事ができるのです。僕もみんなと同じように中に入って、エチオピアの名物料理インジェラを食べました。
アジスアベバに戻ってからはアジスアベバ大学にも行ってきました。40年以上も国王を務めたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が設立し、彼の宮殿だったところが大学のキャンパスの一部になっています。そのキャンパスもやはり緑が多く、美しい建物がたくさん並んでいました。そこの学生とも交流し、たくさん話をしましたが、やはり意志を高くもっている学生がたくさんいるように感じました。何が彼らの希望の基になっているかというと、アジスアベバの街を歩けば目につくように、「建設ブーム」なのです。現在は主に中国、続いてイタリア、多少日本や他の国や投資家の援助もあり、新しい建物やホテル、地方へ行く道路を新しく作ったり、舗装したりする現場がたくさん見られます。そのような街全体の活気あふれる様子が若者に希望を与えているのです。
知り合った大学の先生の家に招待されましたが、日本人から見れば貧しい環境にあり、家周辺の道は舗装もされていない土だけの道でした。また、家には水道や水洗トイレもありませんでした。しかし、そこに住む人々が希望を持っているか持っていないかは、現状とはそこまで関係ありません。数学的に言うと、実際の生活水準ではなく、生活水準を表すグラフの微分(=傾き)によって決まるのです。自分たちの生活は毎年良くなっている、これからも良くなるんだ、と信じている人たちは希望をもっていて明るい。しかし永い不況に苦しみ給料やボーナスも下がり、将来の不安を持っている日本人・若者たちは、実はエチオピアの人たちより何十倍もモノを持っています。しかし将来への希望・期待はそこまで持てないというのが現状なのです。
今までアフリカの他の国も色々訪れてきましたが、これだけ多くの若者が強い学習意欲、将来への期待を強く持っていると感じたのはこのエチオピアのだけではないかと思います。
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新年のご挨拶 |
| (2010.2.16) |
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新年明けましておめでとうございます。
写真は先週自分の手で初めて釣ったキンメダイです。すごく嬉しかった!
今年は既にエチオピアとジブチという国に行ってきました。非常に面白い旅でした。
そこでその旅の話を少ししたいと思います。
最近の日本の若者は、経済状況悪化の影響もあり、あまり海外に行きたがらないそうです。国内にいてもテレビや新聞、雑誌、インターネットなどのお陰で海外の情報を十分手に入れている気分になっているということもあるでしょう。自分の足で海外の土地を踏まなくても、海外の状況を十分理解できると思っているのです。
しかし僕はそうは思いません。というのは、ニュースの大半はアメリカもしくは戦争を続けている国々(アフガニスタン、イラク、パキスタンetc.)だったり、ヨーロッパの先進国の情報が多少報じられる程度です。例えば、僕の母国ハンガリーのニュースが報じられるのは、選挙の時くらいです。そしてアフリカの発展途上国のニュースが報じられるのは大きな災害や内戦があった時や選挙結果や政権交代の時に限ります。
何を隠そう僕自身も現地に行くまではエチオピアのことを殆ど知らなかった。実際現地に行ってたくさんの事を学び、(6回目のアフリカ旅行でしたが)初めて希望に溢れるアフリカの人々を見たような気がします。この旅の話の続きはまた次回に〜
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TV出演情報 |
| (2009.8.17) |
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前回のテレビ出演情報に誤まりがございましたので訂正させていただきます。
正しくは
8月18日(火) 22:50〜23:30 NHK総合テレビ
『どう描かれたの?明治ニッポン〜風刺画に見る世界の“目線"』
*放送日・タイトルが変更になりました
公式HP
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国際会議へ招待された25人程の先生を大学の数理科学研究所まで運ぶバスはホテル前で待っていた。全員乗るとかなり窮屈で、左右の席の間にある補助椅子も必要となった。20メートルほど離れた所にすごく立派なパノラマ・バスが停まっていた。それは何と昨日テロリストの襲撃を受けた車だった。
恐るおそる見に行ってみるとフロントの防犯ガラスは3ヶ所も壊れていた。2,3_の穴が開いていて、ガラスには雪の結晶のように放射状に4,5aひびが広がっていた。バスを横断した弾痕もすぐに見付けた!
研究所へ向かう途中に、テロがあったリバティー・チョーク(自由広場)を毎日通った。そこには連日人が集まっていて、殺された人達の写真に花を供えたり、祈祷したり、大声で叫んでいたりした。
10分程で研究所がある路地に着いた。入口には銃を持った警備員がいた。研究所の屋根の上にもまた、警備員がいた。しかし強い緊張感が漂っていたのは初日だけである。翌日は警備員にお手玉を披露した代わりに記念写真を撮ってもらったり、別の人にウルドゥー語で「弾は幾つ?」と尋ねたら銃を開けて実弾を握らせてくれたりした。
二日目の午前、僕の講演が無事に終了して、ホテルと研究所だけにいる「軟禁状態」はすごく嫌になった。渡りに船というか、研究所の庭でいつもの様に用意されている昼ご飯の際、カーンという大学院生に「先生の講演の原稿を是非コピーさせて下さい」と声を掛けられた。「どこでコピーするの?」と聞くと、「近くの市場で」という答えが返ってきた。これはチャンス!と思い「では一緒に行こう」とカーン君と門の外へ出た。たかが徒歩6分の小さな繁華街に行くだけだったのに、大冒険が始まるかの如くワクワク、ハラハラと溢れる好奇心と拭い切れない緊張感で胸が爆発しそうだった。(続く)
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ラホール行きの飛行機は満席で、しかもほとんどの乗客は服装からも明らかに判るようなイスラム教徒だった。隣に座った人はラホール生まれで、シドニーでパキスタン製生地を販売している人だった。そのため英語はとても流暢に話せた。機内食にはアラビア文字で「ハラール」、つまり「イスラム教徒の人も食べても大丈夫です」と記されていた。実はキリスト教も、イスラムよりも強く、古いユダヤ教に影響を受けていた。豚を食べないなどの、食に関するイスラム教の戒律の由来もそこにある。しかし、この事実を知っているイスラム教徒はほとんどいない。それどころか、彼らはユダヤ人を蔑んで「PIG EATER(豚喰い)」と呼んでいる。
そのような話はせず、チキンライスを食べながらたわいのない会話を愉しんだ。家族との再会を楽しみにしている彼は、食後すぐに眠ってしまった。一方、東京で起きてから20時間以上も経った僕は、不安で睡魔も襲ってこなかった。次から次へと見えてくるインドの都会、カルカッタ、デリーなどを空から確認しながら、1947年の独立後に対立と戦争を繰り返してきたインドとパキスタンの歴史を考えていた。
深夜23:40にラホール空港へと着陸した。入国審査のために並んでいて驚いたのは、検査員が全員女性だったこと!インターネット新聞で受けたイメージにはそぐわなかった。イスラム原理主義が幅を利かせるパキスタン社会では、女性は働かない、男性と接することは極端に少ない、と思っていたのだ。これはラホールで破られた先入観の第一号にすぎなかった。
パスポートに無事入国スタンプが押され、手荷物もすぐに出てきた。そして外に出ると約束通り僕の名前が書かれた横断幕を持った人が待っていた。彼は運転手で、僕をホテルの車、パキスタン工場で組み立てられたトヨタ車まで案内してくれた。 空港から街までの道の両脇に、軍の駐屯地と退役軍人の住宅が並んでいた。午前中に起きたテロの影響で、車は2箇所で警察に止められ、運転手の身分とトランクがチェックされた。 街の中心部に入ると予想以上に西洋的で、ホームレスの姿もゴミも見当たらなかった。小半時間でホテルに到着した。(続く)
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3月3日から8日までの5日間はパキスタンの古都、Lahoreを訪れた。その切っ掛けは向うのある大学(GCU)で行われた数学会議だった。招待状が届いた時は正直言ってかなり迷っていた。日々テロ事件が起こっているパキスタンに行くべきか,と。しかし、この国を訪問するチャンスは他ないのではないかと思い、会議への参加を決心した。
人口が一千万程度のLahoreなのにテロや政治的不安によって国際便も減り、結局バンコク経由で行くことになった。バンコク空港で乗り継ぎ便を待ちながら有料インターネットで世界のニュースを見た。何とトップに出てきたのは「今朝Lahoreでテロがあり8人が死亡。犯人グループは逃走中」。地図で見るとテロがあった自由広場(Liberty Chowk)は僕泊まるホテルから500メートルしかない。出発の前にインド人の友人をはじめ、多くの知合いにあんな危ない所へ行くべきではないと言われた。Lahoreは内戦状態であるPeshawarと違うから大丈夫、とたかをくくっていた僕もこのニュースを読んでびびった。ゲート前の待合室もとても緊迫した様子だった。Urdu語は少ししか判らないけれど方々から聞こえる「Sri Lanka」や「Cricket」の言葉が聞こえて、やはり皆Sri Lanka の Cricketチームが攻撃されたテロのことを話し合っていることは明かだった。誰かと話をしたいな、と周りを見たけれど日本人も白人も見あたらなく、パキスタン人は皆暗い表情で困惑しているようだった。しかもその中でもイスラム原理主義の服装を着ていた者が多かった。「今なら渡航をまだ辞められる。そしてタイで楽しい休日を過ごして日本に帰れる」と弱音をはきそうになった。迷った挙句自分の強運を信じることにして飛行機に乗った。
(続く)
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「数学者は皆計算が上手い」と思いがちだけれど、二桁の掛け算でも電卓に任せる数学者も多い。数学者は何よりも物事を論理的かつ数量的に考えている。その結果として文系の人とは違う発想が生まれるのだ。一例として、税金について考えてみよう。
数百兆円の借金を抱えている政府は、税金収入を増してこの問題を解決しようとしている。そのために3年後から消費税を徐々に増やそうと与党は考えている。時期は別として、野党の大半もこのことを仕方ないと思っている。
ところが、この方針を論理的に検証するとこうなる。国の債務を、経済活動を圧縮せずに減らす方法として税収入の増加が好ましい。まさにその通りだ。しかし、「だから消費税」というのは間違っている。
世界屈指の経済大国日本、そもそもなぜ借金が膨らんだのか?その原因は中曽根時代の税制改革、最大税率の大幅削減である。四半世紀前には一億総中流と言われた日本は、今欧州以上に格差社会となっている。正に最大税率を引き下げた結果である。例えば、昔は一億円のボーナスから手元に残るのは二千万円だった。この二十年は五千万円、つまり2.5倍である。逆に国庫に入るのは八千万から五千万に減った。
皆さんはもうお分かりだと思う。ピーターの提案は、消費税を上げる代わりに累進課税の最大税率を元に戻すことである。すると格差社会の拡大に歯止めがかかると同時に収入が一千万円未満の一般人は増税を免れるだろう。一石二鳥ではないだろうか。
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年末年始はインドに行くことにした。ムンバイで起こったテロ事件がショックだったけれど「これからの1,2ヶ月は大丈夫だ」とたかをくくっている。なぜならこの程度大きな事件を起こすためには相当な準備が必要だろうと。 因みにチケットを購入した時にびっくりしたのは燃料サーチャージ(fuel surcharge)である。もちろん新聞などで話題を見聞していたが、その金額にびっくりした。 昔はよく青山通りにある紀ノ国屋スーパーに買い物に行った。二階に渡る広々した売り場面積と他のスーパーであまり見当たらない食料品は最大の魅力だった。6年ほど前にスーパーは狭い仮店舗に移って、元の場所は更地になった。開発になぜこんなに時間かかったのか不思議だが、この間その辺を歩いていたら、スーパーが元の場所に戻ったことに気付いた。 元の場所とは言え、新店舗は極普通のオフィスビルの地下一階でとても狭くて、強いて言うと仮店舗のままだ。棚と棚の間はショッピングカート同士は随時接触しそうになる。悲しいことに僕が一番好きだったパンのコーナーもすごく圧縮されて、毎回買っていたパンは姿を消した。 新しく登場したのはフランスの麦を使ったクロワッサン。とても美味しそうだったが値段を見てびっくりした:299円。そう言えば世界市場での麦の高騰によって巷のパン屋も軒並み値上がりした。しかしピーターは納得できない。 知り合いに尋ねたところ麦などの原料費と光熱費を合わせても売値の15%に満たない。 つまり値段が100円のパンに対して本来の原料代は15円だけだ。だから麦の値段は倍になったとしても30円で、元より15円増えることになる。この場合の新しい値段は115円で15%の値上である。ところが巷のパン屋で30%以上の値上げが行われたような気がする。 更に言うと国際市場で麦価はこの3ヶ月間でドルベースで40%程度値下がりして、ドルも円に対して15%程度値を下げたのだ。日本円で計算すると麦価はほぼ元に戻った結果になる。フランスの麦だとユーロベースなので円に対して25%も値下げしてしまった。 国際市場での石油の価格は最高値の 1/3 になっている。もはや燃料サーチャージに正当な理由は無くなったのではないだろうか― と朝御飯のおにぎりをもくもく食べながら考えている。
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大分長い間このHPを更新するのを怠ってきた。それを常に反省していたのでなかなか更新のタイミングも逆に難しくなった。だから今日、つまり2008年10月24日になってしまった。
HPを見て下さる皆さんにとって10月24日特別の日ではないかもしれない。しかしピーターにとっては「父の生誕100年」に当る。実は2008年になってから(僕にとってはその瞬間がパプアニューギニアで訪れた)ずっとこの日のことを考えていた。何か大きなパーティでも開催しようかとも計画した。しかし残念ながら父の元気な姿を知っている日本人の知り合いがいないし、最愛の母もこの日を見ることができなかった。
だからこの「百年祭」は一年中ピーターの心の中で開催している。父のことを毎日想いながら日々彼に感謝している。あまり長くなるといけないので今回は百歳に関する父のお話を紹介しよう。
ハンガリーで人口5万人の街、Kaposvar で皮膚科医として知名度が高かった父。彼と一緒に路を歩くと刻々挨拶されたり、足を停められたり、時には病気の相談までされたりして、なかなか前へ進まない。でも父はこれを愉しんでいた。道端で相手の患部を観察したり、立ったまま薬の処方箋を書いたりもした。お金を渡そうとする人もいたが父は毎回断っていた。それで相手はよく「百歳まで生きて下さい」と言ってくれた。そんな時父の答えは決まってユーモアたっぷり、「そんなにケチらないでよ!120歳までと願ってよ!」だった。
日本の漫才や落語のユーモアは西洋の冗談と大分違うのでちょっと説明しよう。ケチは本来お金などの有料な物を惜しむ人に対して用いられる言葉である。この場合、例え200歳までと言っても無料である。その可笑しさは笑いの元となる〜
ハンガリーで未だに男性の平均寿命は70歳程度である。120歳どころか100歳も無理だろうと父も判っていた。でも僕としては父にせめて百歳まで生きて欲しかった。その夢は叶わず、85歳でこの世を去った。そして、4年前の誕生日、10月24日には母も逝ってしまった 〜
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