|
|
|
フランス大統領選 |
(2017.06.01) |
|
先日行われたフランス大統領選挙について毎日新聞の取材を受けた。写真入りの記事を御覧になった方々もいるだろうが、もう少し詳しくピーターの見解を紹介しよう。
1.フランスの選挙制度の良さ。大統領選もそうだけれど、日本の衆議院に当たる議会選挙も一回選で、過半数に届く候補がいなければ決戦投票が行われる。これにどんな利点があるのか?第一に、決戦で過半数に達した候補が当選するので、投票した人の半分以上にとっては自分が選んだ人の勝利になり、納得。今回の大統領選挙で最終的に当選したマクロン氏は、一回戦で23パーセントに留まった。その時点で〔当選〕になったら(棄権を含む)有権者の8割以上にとって不本意の結果であった。第二に、この制度下でフランス人は一回戦は心、二回戦は頭に従って投票するらしい!理想的選挙制度について200年以上前からかなりの数の本や論文は発表され、最近は心理学の観点からも研究が進んだ。そこで言えるのは、日本の小選挙区のように、一回だけの投票だと本音が現れ難い。心で支持する人より当選する確率が高い人に一票を投じる傾向があるからだ。
2.世界のマスコミの共通点は、センセーショナルニュースを伝えたいことである。例えば、史上最年少の大統領やフランス初女性大統領など。しかし一般のフランス人にとって、こんなことはどうでもよい。奥さんはマクロン氏より年上か年下か関係ない!フランスの経済はどうなるのかが最大の焦点になる。日本などのマスコミに「EU離脱か否か」と書いてあった。しかしルペン候補もEU離脱を掲げたのではない!ユーロからの離脱を模索していた。EUに関しては、イギリス人とフランス人の考え方は大きく違う。欧州の大国の中で、EUの更なる統合を目指してきたのはドイツとフランスであり、それを妨げたのはイギリスである。おそらく、イギリス抜きならベルリンの壁崩壊前に西ヨーロッパ合衆国のような組織が出来上がったのだろう。毎日新聞の記事にも書いてある通り、EUの最大の問題は統合や統治が中途半端であること。それぞれの国とEU全体の行政組織は混合している。今や国の数も増え、経済のレベルも様々で、ルールを変えない限り問題解決能力は極めて低い。それでも第一次、第二次世界大戦の主要舞台になっていたフランスの人々にとって、昔の敵、ドイツ人との友好関係は非常に貴重なものである。(余談になるけれど、イギリスがイラク戦争を支持した時も、フランスとドイツは手を結んで反対していた。)だからフランスはEU離脱を望んでいない。
因みに、皆さんはマクロン氏の内閣の顔ぶれを御覧になった?名前を見ても知らない人ばかりだろう!しかし一つだけ言えるのは、22人の大臣中に男性も女性も丁度11名。これに拍手を贈りだい〜
|
|
|
関孝和 |
(2017.02.23) |
|
かなり前からダイエット代わりにウォーキングをしている。最近、単純な事実に気づいた。直径は半径の2倍であることだ。つまり2時間かけて12キロを歩いても、家から出発して家に戻って来るならば、網羅できる範囲は家を中心にした半径6キロの円からはみ出ない!そこで行動範囲を広げる為に、行きか帰りは電車に乗ることにした。これでウォーキングはとても愉しくなった。渋谷から池袋や東京駅まで行くこともある。
先週の土曜日は外苑東通りを終点まで歩くことにした。そして新宿区牛込辺りで、『関孝和の墓』という看板に気づいた。そこの寺に入ったら、奥の方で写真の墓石を見つけた。同じ数学者として関孝和の名前を知っていたが、彼の墓が都心にあるとは想像もしなかった。
講演の際に何回も「関孝和のことはご存知?」や「関孝和の功績はどう思う?」などの質問を受けた。かなり答えに困っていた。日本人の皆さんにとって和算の神様や江戸時代の天才として有名な関孝和だが、日本に来る前にその名前を聞いたこともなかった! 1700年前後に活躍した西洋の大数学者、ニュートンやライプニッツは日本を含む全世界で知名度が高いのに、欧米では関孝和の名前を知っている人がなぜほとんどいないのか?
一言で言えば、その原因は鎖国である。鎖国にも良い面があったが、学術的研究にとっては悪影響の方が大きい!
数学者としても物理学者としても偉大な功績を遺したニュートンは、「巨人であった先輩達に肩車してもらったから、他人に見えないものも観察できた」と言っている。数学は高層ビルのような構造で、各世代は先輩達の功績を伝って階上に登り、そこへ新たな階を建てるのだ。英国にいたニュートンの元には、エジプトやギリシャ、インドやペルシャ、アラブと中世ヨーロッパの学術的知識や知恵が集まっていた。
関孝和も同じ状況下ならばニュートンと並ぶこともできたかもしれない。しかし江戸には中国から渡った算木があっても、インドの数学者が発明した十進法さえなかった。いくら一騎当千でも数学の全てを発見できない。言ってみればこれは天才的数学者、関孝和の悲劇である。
|
|
|
釣りビジョン |
(2017.01.26) |
|
ちょっと遅いけれど、明けましておめでとうございます。
年末にBS 釣り専門チャンネル、釣りビジョンでピーターを紹介する番組「Fishing Cafe」が放映された。実はその撮影は、数回に渡って去年の夏に行われた。釣りと共に人物紹介にもかなりの時間を割いている、釣りビジョンとして特別な番組で、年に4回しかない。だから12月の放映になった。
この番組は僕にとって、松山での釣り友達をテレビで紹介できる凄く嬉しいチャンスであった。彼らがいるから、とても下手な僕も立派な魚を釣れるようになった!因みに今回の写真は、彼らと一緒に船に乗って、12月下旬に松山沖で釣った時のもの。95センチの鰤で、自分にとって素晴らしい記録だ!
収録の際は真鯛を狙っていた。全く釣れなくて、坊主(一匹も釣れないこと)になれば凄く恥ずかしいし、番組としても大変だと思ってかなり緊張していた。しかし当日は釣り運が良かった!船長のアドバイスをよく聞いてその通りにやったら、すぐさま真鯛を釣り上げた。それで自信が付いたこともあって、バラす(針にかかった魚を釣り上げる途中で取り逃がす)ことも無く、どんどん釣り続けることができた。10枚目の真鯛を釣り上げた時、テレビのスタッフも「これで撮影はもう十二分だ」と、残り時間は彼らも少し釣りを楽しんだ。
当日の釣りの状況や使っていた道具などについて詳しく紹介してもよいけれども、このHPを読んでくれる方々の大半は釣りにあまり関心がないかな。
僕としては、今年もほぼ毎月、松山の友達と共に瀬戸内海の美しい景色を眺めながら、真鯛やハマチ、太刀魚や烏賊などをたくさん釣りたいと思っている。大物を抱えている笑顔の写真を、できたら再びHPに載せるぞ!
因みに一月は寒くて未だ釣りに行ってない。
|
|
|
ワイドスクランブル |
(2016.11.22) |
|
先日テレビ朝日の番組『ワイドスクランブル』に生出演した。ネットで常日頃ニュースを注意して見ているけれど、主に外国の新聞のページである。出演の準備として、久々に日本の新聞をゆっくり読んだ。やはり新聞って良いな、と新たに感じた! クリックするのではなく手でページを捲って気持ちが良い。ネットではよく記事の一部を読んだら「残りを3ユーロで購入しますか?」などと表示される。そうではない場合も途中で興味が全くない広告が現れたりする。広告はもちろん新聞にもあるが記事の途中ではない。だから記事を一気に集中して読むことができる。
とは言え日本の新聞に載っている外国のニュースは限られている。どうしても日本との関係が深いアメリカや韓国や中国が中心になり、ヨーロッパの現状を伝える記事が少ない。
例えば、来春行われるフランスの大統領選挙。トランプ効果は極右政党・国民戦線の勝利に繋がるのか?番組でジャーナリストの池上彰さんはこれを取り上げた。
フランス国籍をもったピーターにとっては少し唐突に聞こえた。なぜかと言うとフランスはまだ前大統領、サルコジが作った共和党の予備選挙で盛り上がっている。番組の前夜に第一ラウンドの投票が行われ、当のサルコジは3位で決戦投票に進めなかった。
実際この予備選挙でもトランプ効果が現れた!トップに躍り出たフィヨン候補はトランプのスローガン「Make America great again」を下に「10年間でフランスをヨーロッパで一番の国にする」と訴えて投票者の人気を集めた。トランプの大衆迎合主義に似ていて、実態認識に欠けている。
皆さんご存知のように、ヨーロッパ一の経済大国はドイツである。それを代表する車メーカーVolkswagenは遂にトヨタを抜いて、販売台数で世界一になった。そのドイツをフランスが超えることなんて無理だろう!
正に大衆迎合主義である。理性ではなく大衆の感情に訴えている。サッカーのヨーロッパ選手権でドイツに(たまたま!)勝ったなら経済でもできる、のレベルの主張だが、ナポレオン以降は戦争で自力でドイツに一度も勝てなかったフランス。国民の心底にドイツに勝ちたい気持ちが潜んでいる。非現実的とわかりながらこの感情に訴えるのは、無責任で大衆迎合主義である。だから国民戦線のルペン党首ではなく、フィヨン氏が大統領になってもトランプ効果と言えるだろう。
時間の制限がありテレビではしっかり説明できなかったのが悔しいけれど、番組の出演者とスタッフと過ごした時間は凄く楽しかった!
|
|
|
アメリカ大統領選 |
(2016.11.11) |
|
昨夜(11/8)寝る前に、BBCのホームページでクリントン候補がリードしていて当選の確率は85%以上だと読んだ。なるほど、アメリカ人はオバマ政権の延長、現状維持を選ぶと思った。ところが数学の論文の直しを終えてNHKラジオの昼のニュースを点けると、トランプ候補の優勢は伝えられた。そして先程(11/9夕)、トランプ氏の当選確定が報じられた。
先ず思ったのは、これで各種世論調査への信頼が揺らぐだろうということ。確率・統計は立派な学問だけれど、人間という生き物は複雑で扱い難い!日本語の美しい言葉に〔思いやり〕がある。相手に質問された時、多少自分の意見を曲げても完全な対立を避けたい奥ゆかしさに繋がる。 日本人より弱いにはせよ、たいていの欧米人にもそんな傾向がある。その気持ちの世論調査への影響を考えてみよう。
投票の結果が事前の世論調査と大きく違ったBrexitとアメリカの大統領選挙、その2つには大きな共通点がある。日本を含む先進国の大手マスコミは、どちらの際も安定つまり現状維持を支持していた。過激な発言や不安要素が多いトランプ氏の場合、共和党の予備選挙以降マイナス評価が続いていた。
そのマスコミから「どちらの候補を支持する?」と聞かれる時、「トランプだ」とは答え難い。おそらくトランプ氏を支持していた多くの有権者は「まだ決めていない」などと返事したと思われる。このような人が一割いれば、予備選挙の結果は大きく変わる!例えば、クリントンとトランプの両候補を50%が支持したとしよう。クリントン候補の支持者たちは堂々とそれを言えた。しかしトランプ候補を支持した人の一割が統計から消えて、50対45とヒラリー氏リードになる。
こう考えると、選挙結果と事前世論調査の間の矛盾は解消される。やはり結果が信頼できる世論調査のために、完全中立な報道か人間の精神的様子も計算式に織り込む調査方法が必要である。何れもかなり難しい!
|
|
|
熊本 |
(2016.11.01) |
|
先月は福岡県久留米市で講演会があった。翌日は仕事がなかったので、ちょっと足を延ばして熊本地震の復興状況を自分の目で確認した。
以前は熊本に行けば市の最大の商店街、上通りと下通りで大道芸を披露した。地元の人々のノリが良くて毎回楽しかったが、今回はそんな気にならなかった。帽子で金を集めるよりは自分から寄付したい気持ちの方が強かった。
駅からホテルまでのタクシーからも熊本市の中心部に全壊や半壊の建物を見たし、また加藤清正が建てた熊本城の悲惨な状況も確認した。激しい揺れで落下した城壁の石々が、あちらこちらの広場に並べられていた。城壁前の様々な写真を下に各石に番号がふってあった。それを手助けに復元する予定だが、その作業は資格を持った人にしか許されていないので30年も掛かる予定だ!!しかも費用も凄い!
史跡だとわかるけれども、規制を緩めてボランティアの人々に作業を手伝ってもらった方が良いのではないかと思った。30年後なら、僕は両親とも一人でも観光したあの素晴らしいお城の完成した姿を目にすることがないだろう。
泊まったホテルは築30年で、外壁はほぼ無傷だったが激しい横揺れで中はボロボロになった。一部の部屋を修理して8月に営業再開したが、残りの部分の復元はまだ進行中である。
大変な状況の下でも熊本の人々の表情は明るかった。その精神を支えるモノの一つは『くまモン』である。日本中のゆるキャラで最も成功したくまモンの様々なバリエーションを、至る所で見かけた。申請さえすれば誰でも無料で使えるらしい。だからくまモンの姿が見えない商品は珍しいほどだ。あの可愛い姿は熊本の最大のPR大使になっている。
翌朝、益城町に行くバスの中でも様々な広告のどこかにくまモンがいた。揺れが特に激しかった広崎に降りた。淋しい小雨が降る中どんどん悲しくなりながら、その界隈を歩き回った。
半年経った今でも倒壊したままの建物や、「危険」という貼り紙が付いているにも拘わらず中で細々生活を営んでいる人達、考えさせられるものはたくさんあった。倒壊した家と被害が少なかった家の最大の違いは築年数だと感じた。単純に推理すると、古い家に住んでいるのはお年寄りと貧しい人達である。比較的安全と言われた熊本なので、大半は地震保険も掛けていない。この人達にとって自力再建は無理に近いだろう。
だから、東京オリンピック後は負の遺産になりそうな競技場を建てるより、政府にはもっと災害に遭った人達の支援の為にお金を使って欲しい!
|
|
|
両親 |
(2016.10.18) |
|
先月、日本経済新聞夕刊の「それでも親子」という欄の取材依頼があり、両親との思い出を色々語った。記事は9月末に掲載された。僕は今でも両親への強い感謝の気持ちでいっぱいだが、今日(10月18日)の両親の結婚記念日にちなんで、若い親に少しでも参考にしてほしいことを紹介したい。
医者としてたくさんの人と深く接してきた二人から教わったのは、この世で最も素晴らしいもの、また一番恐ろしいものは、人間だということ。二人とも皮膚科医で、患者の病を根治するためには原因になった生活環境を調べる必要があると考えていた。特に、入院患者担当の父は彼らとたくさん話をして、ジグソーパズルのように患者と病の全体図を組み立てようとした。
皮膚科の患者は包帯を変えるなどの処置をしていれば元気そうな人が多かったので、父はよくそんな患者を家に連れて帰ってきた。母が作った料理を患者一人を交えて食べるのも珍しくなかった。食事の際、父は患者が自分の家族や仕事についてたくさん語れるようにどんどん質問した。農家や猟師、運転手や工員など、様々な職業の人たちの人生と考え方からいろいろ学ぶことができた。
ヒトラーが首相になった年に小学校に入った母は、ユダヤ人として日々苛められたそうだ。高1の時、家族とともにアウシュヴィッツに搬送され、彼女だけが生還した。働きながら復学し医学の道へ進んだ母は、自分の経験を晩年まで語ってくれなかった。十八歳年上の父が強制収容所で九死に一生を得たのは、医者として必要とされ、陽気で周囲と良い人間関係を築いたからだそうだ。
夏中の週末を過ごした別荘で、母は料理や庭の手入れなど随時家族のために尽くしていた。父は僕を連れて知り合いめぐり。どこでも歓迎され、ベランダに座りながら話に花を咲かせた。次の場所まで歩く間は、その家族の詳細を僕に紹介してくれた。
戦争の教訓として、真の財産は頭と心にあると親は信じていた。だから日本の言葉と文化をよく学び、地元の人々と温かい人間関係を築きなさいと言われた。大勢の日本人に優しくされて、またユダヤ人として差別を受けたこともない。アメリカやフランスではなく日本を選んだのは正解だった。
それでも日本人が家族ぐるみの付き合いをしないことを残念に思う。片付いていないことを言い訳に他人を家に呼ばない。同僚や友達と外で食事を済ませて一人で帰る。これでは核家族が主流の今日、子ども達が親と先生以外の大人と触れ合う機会は滅多にない。親の言うことを聞いてくれない子供でも他の大人の話に素直に耳を貸すことはよくあるのにもったいない。
|
|
|
秋田県鹿角市 |
(2016.09.26) |
|
先週は秋田県鹿角市まで講演に行った。二年前に秋田市で講演した際、レンタカーで男鹿半島まで足を延ばしてとても楽しい船釣りができた。今回もそうしようと凄く楽しみにしたところ、前線や台風の影響で釣りを諦めざるを得なかった。
主催者に盛岡駅まで迎えに来てくれることを頼んでみたら、快く応じてくれた。新幹線の改札口を出ると、70前の男性が元気良く出迎えてくれた。通路を通ってエレベーターを降りて駐車場に入ると、そこに待っていたのはかなり古いスバルであった。僕の鞄をトランクに収めることができたので、それで特に問題がなかった。しかし運転席に座っていたのは背骨がかなり曲がったよぼよぼのおじいさんであることに驚いた。
駐車券を出口の機械に入れることもできなかったので、助手席に座った僕は券を取って車から降りて券と代金の100円を機械に投入した。 おじいさんは道もよくわからなく、後ろ座席からの指示がなければすぐ迷子になりそうだった。
「何歳ですか」と訊いてみたら、「81」と答えてくれた。トランクに荷物を入れた時に高齢者マークが貼ってあると気付いたけれど、運転するのは改札口で出迎えた男性だと思っていた。東北道の入り口にも気が付かず、僕が「ここは左じゃない」と教えると、慌てて車線を変更した。後ろの車はいらいらしながらクラクションを鳴らしたが、どんどん減速しながら高速の入口に向かった。ETCカードがなかったのは言うまでもない。しかも通行券の発給機械から1メートル以上離れて止まったので、またもや僕が降りてボタンを押して券を受け取った。
ところが一旦高速に乗ると、速度をだんだん上げて最大で110キロまで出した!はっきり言って少し怖かった。反射神経が弱っている人が出すべきスピードではなかろう。 後ろに座っていた主催者は何も言わなかったので、僕も口出しをしなかった。
ちょっと計算してみたら運転手さんは終戦時に10歳、つまり小学生。そこで彼に当時の食料事情を話してもらった。秋田こまちで有名な地帯なのに、当時は米がなかったようだ。「野菜ばかり食べさせられた」、「南瓜の食べ過ぎで顔が黄色くなった」などと話してくれた。蝗(いなご)の佃煮もよく食べたらしい。「それは甘くて美味しい」と相槌を打った。
あれこれ話をするうちに、高速の鹿角・八幡平出口に到着した。会場になっていたホテルの道にも上手く入れなかったので、国道でちょっとバックする羽目になった。荷物を下ろした時、無事でよかったとホッとした!!!
翌朝の見送りを頼まず、バスで盛岡駅に向かった。写真はバス券売り場で、名前が池袋になっていることに驚いた!
|
|
|
富士山2 |
(2016.09.20) |
|
日本に長く住んできた僕は、富士山に登るなら山頂から御来光を見るのが一番大切だと当然のように思った。ところが外国人の友達は違う!山小屋での夕食の際、アリアに「明日は起床が1時半と言ったら、「それは無理、1時半に起きることを想像するだけで精神的な苦痛だと返ってきた。ヤノシュは「ギリギリで起きて、日の出を八号目から見てから登るぞと宣言して、早く寝袋に入り込んだ。汗でびしょ濡れになったポロシャツやズボンを干しながら、「まあ、明日は別々で行動すれば良い」と諦めて、ヤノシュとアンドレイの間の狭い場所へ入った。時間が早くて全然眠くなかった。お互いに色んな笑い話を語ったりして、時間を潰して眠気到来を待っていた。
目覚まし時計を1時半に設定したが、もっと早く起きる人が大勢いた。彼等のガシャガシャする音でやはり目覚めて、カロリー源として持っていたチョコレートビスケットをゆっくり食べていた。ビスケットが底を突いたので、仕方なく起きて支度を始めた。そして予定通り1時45分に頭のライトをONにして出発した。外は真っ暗だったが、星空はとても綺麗に見えていた。九号目辺りで休憩していた時は、流れ星もはっきり見えた。頂上の方を見上げると、たくさんの蛍のように登って行く人々のライトが暗闇の中をゆっくり動いていた。神秘的な雰囲気!
九号目辺りから風はどんどん強くなった。空気が薄くなったとは全然感じなかったが、寒かった。濡れたポロシャツはリュックに積んで、ヒートテックの長袖のTシャツを重ね着して、その上に合羽を着ただけだった。
だから頂上まで後30分と言われた所で時間調整をした。することがなかったので、警備員とあれこれ話をした。今日は頂上で風が秒速15メートルで危ないとか、この夏落石で怪我した人は数人いるとか、風で火山灰が飛んでいるのでマスクをした方が良いなどと言われた。確かにヘルメットにマスクをしていた登山客も少なくなかった。マスクは売ってなかったので、寒さ対策として軍手を買って山頂を目指して登り始めた。
最後の30分は一番きつかった。道幅が狭く人の密度が高く、思う通り前へ進めなかったからだ。しかしこれでも御来光に十分間に合った。 雲も火山灰もあり太平洋など下の景色は見えなかったが、太陽光が次第に差してくるのを見て感動した。
日焼けを避けたい僕は頂上周辺を少し散策しただけで、6時に下山を始めた。火山灰で柔らかい下山道をゆっくり走りながら下りると早い且つ楽と感じたが、暫くしたら靴でしっかり固定されていない足の指が痛くなった。紐をいくら縛っても変わらない。そこで前日の靴下を重ね履きにして、無理矢理登山靴を履くことにした。痛さはあまり和らがなかったが、我慢するしかなかった。
結局8時過ぎに五合目のバス停に着いた。同じバス停を2時間後に通過したアンドレイとアリアも、頂上からの御来光を見たらしい!他人の音で自然に目が覚めた二人は、2時過ぎに山小屋を出てあまり休憩しなかった。山頂でたくさんの写真を撮りながらうどんも食べた。ヤノシュがバス停に着いたのは午後3時で、かなり遅かった。家に着いたのは午後7時過ぎで、かなり疲れていた。軽い高山病か頂上で吐いたらしい!
しかし最も綺麗な日の出を見たのは彼である!八号目は雲一つ無く、千葉の向こうから太陽が昇ってきた。 四半世紀前から抱えていた富士山に登る夢を叶えた彼は、凄く嬉しい表情だった!
|
|