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2月の初め、香港で講演をした。主催は香港にある二つの日本人学校であった。日本人からの依頼で海外で講演をしたのは初めてだったので、依頼が確定した半年前からとても楽しみにしていた。
最近日本国内でも小学校での仕事の依頼が増えてきたけれど、海外に住んでいる子供たちとその両親や先生に伝えるべきメッセージはやはり違う。住んでいる環境が日本と異なっているので、親の考え方も違ってくるのだ。
実は、事前にメールで親が講演会の中で話してほしいという幾つかの項目が届いたのだが、それを見た時はかなり驚いた。全部で10項目もあったのに、その中には算数の「算」の字もなかったのだ。一番多かったのは、英語や中国語、または広東語の学習や上達方法に関するものだった。街を歩いていても、新聞やテレビを見ていてもこれらの言語に触れることが多いから無理もない。
しかし、僕は考えれば考えるほどこれに違和感を覚えた。仕事場やお店で「外国語がもっと話せたら…」とため息をつく親の姿は目に浮かぶ。しかし、子供たちの本当のニーズは違うのではないか、と思った。彼らが日本人学校に通っているのは、いずれ日本に戻って、この国の高等教育を受けたり、日本企業で働いたりするためであろう。ならば、国語能力を高めることに重点を置くべきではないか。
今のヨーロッパを見て「民族ってなんだろう?」と深く考えたことがある。ハンガリー学士院が行った精密調査で、ハンガリー人と周辺国家の人々の間に遺伝子的な差は現れなかった。歴史上の偉大な文学者でもセルビアやスロバキアなどの混血が多い。そこで僕はハンガリー人を「ハンガリー文化や風土、伝統や歴史をこよなく愛し、ハンガリー語を自由に操ることができる人」と定義している。だから、フランス人として育ったサルコジ仏大統領はハンガリー人ではない。30代で香港に渡って向こうで一所懸命英語や中国語を学んでいる日本人はいつまでも日本人である。
このような人たちはおそらく自分の子供にも日本人になってほしいと願うだろう。しかし、日本の国籍があるだけでは本物の日本人であるとは限らない。そのために小学校内外で日本語や日本文化などを本気で勉強することが最も大切ではないでしょうか。
世界一難しい言語、日本語の場合は特にそうだ。英語を流暢に話せてもまともな日本語の文章を書けない人間は一人前の日本人として認められない。
また、小学校で苦労しながら漢字を覚えないと中・高校生や成人になるとどんどん難しくなす。だから海外に住んでいる子供にとっても、いや彼らにとって特に国語をマスターすることが一番大切なのだ!!
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王府井の観光客の中で日本人をはじめアジア人また欧米人も大勢いたが大半はやはり中国人だった。店で働いている人の過半数は北京の人ではなく地方からの出稼ぎ労働者だった。皆に訊くと北京人は怠け者と言うか面倒臭りやと言うか、とにかく3Kタイプの仕事は例え貧乏でもやりたがらないそうだ。
一方仕事がない農村や仕事があっても賃金が安い多くの地方都市の人にとって北京や上海は憧れの場所である。基本的な教育も殆ど受けていない400万人の「民工(みんこん)」は卑劣の状況の下で北京の建設現場や道路工事などで3Kの仕事をやっているのだ。
中国を共産主義、労働者の国家であるとは到底思えない〜
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中央通りからちょっと奥へ入ると屋台や小物市場があった。屋台では普通の料理と並んでゲテモノもいっぱい売っていた。僕の目を引いたのは未だ生きている蠍(さそり)であった。8〜10匹ずつ、串に刺されて、注文してくれる客を待っていた。他にもキリギリスやヒトデなどがあって、全部その場で油で揚げるのだ。新鮮さは抜群でも食べる気にはならなかった。売りっ子たちに大道芸を見せた換わりに天命を待つ虫たちの撮影を許してもらった。
因みに、中国人はどれだけこんなゲテモノを食べるのか良く判らない。その辺を歩いている(地方からの)観光客に訊いたが「食べたことがない」や「食べる勇気がない」と口を揃えて答えた。けれども商売として成り立っているということは食べる人も結構いる筈だ。もしかするとお酒を飲んだら食べたくなるかな?
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中国での英語熱はすごい。本屋の3階のOne Floorが英語関係になっていた。日本の英語図書と違う良い点を二つ指摘したい。
一つは(中国語の漢字でも可能だけれど)カタカナ発音記号がなく、全ては国際発音記号になっている事だ。これは日本人の会話レベルを向上させるためにも是非参考にして欲しい。
もう一つは、日本に較べて英語で書いてある部分の割合が多い事だ。日本語の説明を読んだ方が楽は楽だろうが、英語を本気で上達させたいならEnglish(横文字)に多く触れた方が良いような気がする。
日本語を学ぶ人の数が6年前に較べて減っているのか、日本語の教科書のコーナーがとても小さかった。その状況は王府井の反対の入口付近の、歴史が永い「北京外国語書店」も同じだった。
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6月の始めに北京へ行って来た。北京に行ったのは2000年の4月以来で、街と人の様子はどれだけ変わったのかすごく興味があった。六年前に北京の銀座、Wang-fu-jin(王府井)のすぐ近くに泊まっていた。天気の良い日は自転車を借りて街を走り回った。あの頃はまだ自転車で通勤、通学する人が非常に多くて、隣で走りながら声を掛けたり、会話をしたり、時には一緒にお茶も飲んだりしてとても穏やかだった。
六年間で北京の街を走る自転車の数がどれだけ減っただろうか。消えてはないものの、東京とそう変わらない程度になってしまった。自転車大好きなピーターにとって寂しいかぎりだった。一方王府井の入口に大きな本屋ができた。そこには何回も行った。一階は国内、海外旅行の本のコーナーもあり、地球の歩き方の中国語版もたくさん置いてあった。けれども中国人の大半(北京でさえ)は一度も国を出たことがない。世界中の観光地を周ると中国人の団体客は非常に増えて、目立っていることから中国人も「猫も杓子も」海外旅行に行けるようになったと思ったら大間違い。人口は日本の十倍を超えているので%を計算すると分母が大きくなってしまう。
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